概要
「宇部護国神社」といえば市内では桜の名所として有名で、四月には境内全域は桜花一彩に映え、ボンボリもさげられ、多くの花見客に 親しまれております。創建は、慶応二年(1866年)11月で、第一次長州征伐回避の為、禁門の変の責任をとらされ自刃された藩三家老の一人宇部領主福原越後翁を主祭神とし、禁門の変で越後翁に従って出兵され戦死された22柱の御霊が合祀されて「維新招魂社」と命名され、神社の紋には、福原翁の「かたばみ」が用いられました。初めは、崩山の地名から「崩し招魂社」通称「御霊社」とも云われていました。このあたりは、「維新山」といわれ、山続きの西端には福原翁の墓所宗隣寺があり、中尾には維新館もあって明治維新とは縁の深い土地柄であります。銃弾に縁深く『願掛け弾』や『願い玉』が有名で、多くの人が願掛けや願玉を求めに来られます。
願い成就のお守り(お見合い、受験、商談など)
福原越後翁は禁門の変に於いて越後翁自身は、銃丸が右頬に当り負傷されたにもかかわらず、にこやかに隊伍を整えられたが、戦運無く兵を率いて帰国の途に就かれ、負傷された身ながら兵を先に帰国され、自らは、遅れて帰国された。
その、将たる行動を賞賛、一発の弾の当たるどころか かすりもせず、その堂々たる戦いぶりに弾が避けて行ったという逸話が語られ、戦時中出征兵士の無事を祈る願掛けが行なわれていたと言われ、戦後は慰霊が主体となり願掛けは無くなり、逸話も語られることが無くなったと言われております。
しかし、逸話もさることながら越後翁の忠義の為に命を絶つ精神と腹をかっ切る行動は破邪顕正・悪縁断絶の英雄を連想させ、御神威を頂こうと諸々の願掛けをする人たちの気持ちも分かる気がいたします。
また宇部護国神社の御祭神は福原越後翁を初め、幾多の戦役事変で戦死された英霊、火消しの職務を全うされた公務殉職者の御霊であり、これらの御霊は、全て日本国の平和安泰や国民の幸せを願っておられた御霊等であり、それを思えば宇部護国神社は3430柱を越える御霊の「願いの結晶」であるといえるのであります。
今ここに、福原越後元翁没130余年、また戦後50余年を過ぎ御霊等は完全に浄化され「願い成就の神」として絶大なる御神威・御神徳を授け給うのであります。
よってここに願い成就のお守りとして「願い守り」が誕生したのであります。
☆願い成就の3原則☆
1・こころ清くあること
1・誠心もって最善をつくすこと
1・成就を信じいのること
人形供養祭
山口県宇部市の宇部護国神社では人形供養祭を行っております。基本的には毎月第四土曜日15時からですが、宮司の都合で変更することがあります。
供養を依頼される方は供養予定日時まで持って来て下さい。供養祭に参加される方は電話をして確認してご参加ください。
人形供養祭(慰霊焼納祭)は人形だけでなく、名刺、写真結納品等、不用品として処分しづらい品々を供養(慰霊焼納)しております。
迷っておられるならご一報下さいませ。
また、結納品の処分は気になるものです。
その結納品の慰霊焼納に合わせてご夫婦の幸せ祈願祭を行っております。