浄土宗 真如寺
徳川御三家紀州藩主の御用達御旅宿として使用されたお寺です。
当寺は文化活動として落語会等をおこなっています。また当寺はバリアフリーとなっています。
当寺は文化活動として落語会等をおこなっています。また当寺はバリアフリーとなっています。
納骨供養・お焚き上げ供養・水子子供供養・各種供養を執り行っております。
納骨供養のご案内
様々なご事情で納骨を検討中の皆様へ、是非とも当寺にご遺骨を納骨していただきますようお願い致します。
当寺では宗旨宗派は一切問いません。
当寺では一時預かり納骨供養・納骨供養・永代納骨供養・永代特別納骨供養の様々なかたちでの納骨が可能です。
又、生前の予約での納骨供養も可能ですのでご遠慮無く当寺にお問い合わせしてください。
当寺では宗旨宗派は一切問いません。
当寺では一時預かり納骨供養・納骨供養・永代納骨供養・永代特別納骨供養の様々なかたちでの納骨が可能です。
又、生前の予約での納骨供養も可能ですのでご遠慮無く当寺にお問い合わせしてください。
水子・子供供養のご案内
様々なご事情で納骨を検討中の皆様へ、是非とも当寺にご遺骨を納骨していただきますようお願い致します。
どうか忘れないで下さい。
水子供養は、生まれることのできなかったわが子を愛し、生むことのできなかった母親のこころを癒やすご供養です。
尊い命のために。
その子の心の平安のために、お供養する水子供養です。
●水子・子供供養について
真如寺では水子・子供供養をいたしております。
「深いご事情をお持ちの方」「遠方で参拝できない方」はご自宅からのお供養もお受けしております。
ご相談等ございましたらお気軽にお申し付け下さい。
水子・子供供養に、宗教、宗派、 あらゆる規制をいたしておりません。
水子・子供は一代で無縁になることが多く、永代供養が安心です。
水子供養とは
今まさにこの世に生を受けようとして、悲しくも何らかの理由によりこの世に生まれることが出来なかった霊を、仏法の教えに従って正しく供養し、仏の慈悲心に願いをかけて、水子の霊を「迷いの世界・苦の世界から安楽・浄土の世界へ」と導くためのものです。この水子供養をせずなおざりにしておくと、この世に生まれられなかった水子の霊は、いつまでたっても「迷い・苦の状態」から抜け出せることが出来なく、永遠に迷い続けなければならないのです。様々な事情から闇から闇へと葬り去られる水子。産みたいのにそうできない事情。父母としてのつながりをこの世で果たすこともなく、省みることもなく忘れ去られてしまう存在が水子です。気にかかりながらどうしてよいのか分からず、手を合わせることもなく、花を手向けることもなく水子の存在の重さを引きずってしまう。それが日常の生活に言うにいえない迷いを生じさせることがあります。手を合わせる。線香を手向ける。幸せへの階段は水子のご供養から始まります。
子供供養とは
現世に誕生されて幼くして旅立たれたお子様に対してのご事情で葬儀式・墓石の建立・納骨供養などのお供養ができなかったお子様のために当山住職が心を込めてお供養させていただくお供養のことです。
水子・子供供養の心
水子の存在は古くからあった。現在のような人工中絶がない時代でも流産死産はあったし難産で母子ともに死ぬ事もあった。そして昔の人は水子に対しても認識が深く位牌を作ったり墓を作って供養している。ところが近年医術の発達とともに人工中絶が一般化したために新しい形の水子が誕生することになった。そして医学の進歩とともに人工中絶を安易に行い苦痛も伴わないところから、小さな生命の存在をモノのごとくに考えてしまい、親として子に対する愛情を失ってしまったわけである。悲しいことであり恐ろしいことである。ところで、この水子供養を多くの人が「たたる」という感覚で受けとめ、恐ろしいことのように感じているのは遺憾である。因果関係からみれば「たたる」ということに似た現象が起きることも時々あるが、「たたる」から「たたらない」からということで供養するものではない。水子・子供供養は親の愛情から親の当然の役目として義務として、心から行うものである。 人間の生命は地球より重いといわれるが、まさに水子・子供供養というものは生命の尊厳に関わるテーマである。
どうか忘れないで下さい。
水子供養は、生まれることのできなかったわが子を愛し、生むことのできなかった母親のこころを癒やすご供養です。
尊い命のために。
その子の心の平安のために、お供養する水子供養です。
●水子・子供供養について
真如寺では水子・子供供養をいたしております。
「深いご事情をお持ちの方」「遠方で参拝できない方」はご自宅からのお供養もお受けしております。
ご相談等ございましたらお気軽にお申し付け下さい。
水子・子供供養に、宗教、宗派、 あらゆる規制をいたしておりません。
水子・子供は一代で無縁になることが多く、永代供養が安心です。
水子供養とは
今まさにこの世に生を受けようとして、悲しくも何らかの理由によりこの世に生まれることが出来なかった霊を、仏法の教えに従って正しく供養し、仏の慈悲心に願いをかけて、水子の霊を「迷いの世界・苦の世界から安楽・浄土の世界へ」と導くためのものです。この水子供養をせずなおざりにしておくと、この世に生まれられなかった水子の霊は、いつまでたっても「迷い・苦の状態」から抜け出せることが出来なく、永遠に迷い続けなければならないのです。様々な事情から闇から闇へと葬り去られる水子。産みたいのにそうできない事情。父母としてのつながりをこの世で果たすこともなく、省みることもなく忘れ去られてしまう存在が水子です。気にかかりながらどうしてよいのか分からず、手を合わせることもなく、花を手向けることもなく水子の存在の重さを引きずってしまう。それが日常の生活に言うにいえない迷いを生じさせることがあります。手を合わせる。線香を手向ける。幸せへの階段は水子のご供養から始まります。
子供供養とは
現世に誕生されて幼くして旅立たれたお子様に対してのご事情で葬儀式・墓石の建立・納骨供養などのお供養ができなかったお子様のために当山住職が心を込めてお供養させていただくお供養のことです。
水子・子供供養の心
水子の存在は古くからあった。現在のような人工中絶がない時代でも流産死産はあったし難産で母子ともに死ぬ事もあった。そして昔の人は水子に対しても認識が深く位牌を作ったり墓を作って供養している。ところが近年医術の発達とともに人工中絶が一般化したために新しい形の水子が誕生することになった。そして医学の進歩とともに人工中絶を安易に行い苦痛も伴わないところから、小さな生命の存在をモノのごとくに考えてしまい、親として子に対する愛情を失ってしまったわけである。悲しいことであり恐ろしいことである。ところで、この水子供養を多くの人が「たたる」という感覚で受けとめ、恐ろしいことのように感じているのは遺憾である。因果関係からみれば「たたる」ということに似た現象が起きることも時々あるが、「たたる」から「たたらない」からということで供養するものではない。水子・子供供養は親の愛情から親の当然の役目として義務として、心から行うものである。 人間の生命は地球より重いといわれるが、まさに水子・子供供養というものは生命の尊厳に関わるテーマである。
お焚き上げ供養
当寺お焚き上げ供養は供養される仏具関係物品類をお魂抜き供養をさせていただき浄火によってお焚き上げさせていただいております。
お引き取りさせていただく物品類の宗旨宗派は一切問いません。
お焚き上げ供養回向料 金3千円
お引き取りさせていただく物品類の送付負担金は依頼者様のご負担です。
尚、当山が引き取り不可能と判断した物品類を送付された場合も依頼者様のご負担です。
当山においてお焚き上げ供養が可能な物品類一覧
•仏具類「仏像・仏画仏名掛け軸・位牌・卒塔婆等」
•経典類「宗旨宗派で使用されている経本」
•御守類「宗旨宗派等で各種祈願された御守」
•お札類「宗旨宗派等で各種祈願されたお札」
•絵馬類「宗旨宗派等で各種祈願された絵馬」
•腹帯類「宗旨宗派等で各種祈願された腹帯」
•遺影類「ご先祖様・故人様の写真・母体内のお子様写真」
•生前の写真
お葬儀に係わるものから、亡くなった人が残して逝った遺品を粗末に出来ない方、遺品を処分したいなど、お気軽にご相談下さい。
お引き取りさせていただく物品類の宗旨宗派は一切問いません。
お焚き上げ供養回向料 金3千円
お引き取りさせていただく物品類の送付負担金は依頼者様のご負担です。
尚、当山が引き取り不可能と判断した物品類を送付された場合も依頼者様のご負担です。
当山においてお焚き上げ供養が可能な物品類一覧
•仏具類「仏像・仏画仏名掛け軸・位牌・卒塔婆等」
•経典類「宗旨宗派で使用されている経本」
•御守類「宗旨宗派等で各種祈願された御守」
•お札類「宗旨宗派等で各種祈願されたお札」
•絵馬類「宗旨宗派等で各種祈願された絵馬」
•腹帯類「宗旨宗派等で各種祈願された腹帯」
•遺影類「ご先祖様・故人様の写真・母体内のお子様写真」
•生前の写真
お葬儀に係わるものから、亡くなった人が残して逝った遺品を粗末に出来ない方、遺品を処分したいなど、お気軽にご相談下さい。
( 近畿 )
ホームページURL | http://www.sinnyoji.jp/ |
電話番号 | 072-482-7200 |
FAX番号 | 072-482-8004 |
郵便番号 | 590-0504 |
住所 | 大阪府泉南市信達市場2154番地 |