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浄土宗 善想寺 高ヒット
2009-7-2 9:35 投稿者: admin [ 5601hit ]

 

概要

 善想寺境内地であるこの場所は千余年前、関白太政大臣藤原頼忠公の本宅地にあたり、天元二年(九七九年)には後院(天皇退位後の住まい)となり四条後院といった(百練抄より)。また天元三年に大内裏炎上し、円融天皇は四条後院に行幸され、一時「皇宮」となった。その後元弘、建武の京都の戦(一三三一〜四年)で四条後院の御殿は廃墟となり、南北朝時代、応仁の乱などにより京は荒廃し元亀年間(一五七〇年頃)まで広漠たる荒地であった。

善想寺の開基、想阿善悦上人は三十一才の春、洛西の地を開拓し一寺を建立された。浄土宗を弘通し徳望家で上人に帰依した人は何万人に及んだという。天正九年五月二十日、七十九歳にて寂せらる。その翌年孫弟子の法春和尚は浄土教をひろめ、天正十年(一五八二年)帝都の復興に手をつけられた秀吉公の命により六角大宮善想寺を再建された。上人二十五才であった。

詳細

 日本においては聖徳太子の時代より皇室が仏教を取り入れた歴史があり、明治を迎えるまで神仏習合の発展を見ます。善想寺本堂は本尊の前の御神鏡、菊御紋や宮殿の鳳凰の彫刻など神仏習合の信仰を表しています。また本堂左脇壇の三尊は長野の善光寺三尊仏(一光三尊仏)として信仰されてきました。

墓地には華道池坊の家元の三十二世専好師より四十二世専正師の十名歴代家元がまつられています。立花、生花の大成者や明治の近代化を成し遂げた家元がまつられています 

また京都相撲の最後の名横綱兜潟彌吉の墓碑もまつられています。

供養塔は納骨の設備を持ちお盆やお彼岸には多くの人々が手を合わせておられます。この納骨所には多くの檀信徒の般若心経の写経が納められています。

石仏阿弥陀如来(鎌倉初期造立)
八百年前のこの場所は平安末期の古地図にも在るように四条後院であり後院内にまつられていたと思われる。石仏は八百年の間この地を見守ってこられました。
近畿 )
永代供養塔
永代供養塔
石仏・阿弥陀如来
石仏・阿弥陀如来
善想寺本堂
善想寺本堂
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