人形の寺 宝鏡寺
はじめに
中世京洛に栄えていました尼五山第一位の景愛寺の法灯を今に受け継ぐ宝鏡寺です。
景愛寺第六世でありました光厳天皇(こうごんてんのう)皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼は、宝鏡寺を開山し後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜っております。
その後多くの皇女が歴代となり、百々御所(どどのごしょ)という御所号も賜りました。
人形の寺とも呼ばれ、毎年春と秋に一般公開もしております。
境内には、めずらしい椿や伊勢なでしこなどの花が四季折々に咲いています。
景愛寺第六世でありました光厳天皇(こうごんてんのう)皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼は、宝鏡寺を開山し後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜っております。
その後多くの皇女が歴代となり、百々御所(どどのごしょ)という御所号も賜りました。
人形の寺とも呼ばれ、毎年春と秋に一般公開もしております。
境内には、めずらしい椿や伊勢なでしこなどの花が四季折々に咲いています。
宝鏡寺と人形供養
宝鏡寺では皇女方が入寺されていたことから御所より人形が贈られ、孝明天皇(こうめいてんのう)ご遺愛の人形をはじめ、由緒ある人形を数多く保存いたしておりました。
そこで、昭和32(1957)年の秋より人形展(一般公開)が始まり、その後関係者によりまして年1回、秋に人形供養祭(及び関係物故者供養祭)が営まれることとなり人形塚も建立され、いつの頃からか人形の寺として名高くなりました。
そうしてその頃より、皆様人形を供養に納められるようになり、今日にいたっております。
人形塚の歴史は意外と新しく、境内に建てられたのは昭和34(1959)年のことです。
1950年代半ばに、京人形商工業協同組合が、京人形を本格的にアピールしていこうと建立を計画したものです。
塚には、京人形を象徴する愛らしい御所人形が彫り込まれています。その台座には、武者小路実篤の歌碑が寄せられています。
人形塚は、人形と人形制作に一生を捧げた人たちの供養塔として、真摯な意味を持っているのです。
人形よ 誰がつくりしか
誰に愛されしか 知らねども
愛された事実こそ
汝が成仏の誠なれ
武者小路実篤
納められたお人形は、ある程度集まりますと可能な処へ運ばれ、お火上げとなります。
お人形と一緒に納められた紙のひとがたもお火上げとなります。
お火上げの日までは毎日お勤めがされます。
受付で書いて頂いた紙のヒトガタを燃やした灰の一部が、毎年10月14日に行われます“人形供養祭”にて人形塚の中に納められます。
“人形供養祭”には、この日に持ち込まれたお人形を並べ、年に一度の総供養の日として、お勤めが盛大に執り行われます。
毎朝のお勤めに参列はできませんが、この日は、皆様にも参列していただき、お焼香もしていただけます。
この日は島原太夫の奉納舞などがあります。
そこで、昭和32(1957)年の秋より人形展(一般公開)が始まり、その後関係者によりまして年1回、秋に人形供養祭(及び関係物故者供養祭)が営まれることとなり人形塚も建立され、いつの頃からか人形の寺として名高くなりました。
そうしてその頃より、皆様人形を供養に納められるようになり、今日にいたっております。
人形塚の歴史は意外と新しく、境内に建てられたのは昭和34(1959)年のことです。
1950年代半ばに、京人形商工業協同組合が、京人形を本格的にアピールしていこうと建立を計画したものです。
塚には、京人形を象徴する愛らしい御所人形が彫り込まれています。その台座には、武者小路実篤の歌碑が寄せられています。
人形塚は、人形と人形制作に一生を捧げた人たちの供養塔として、真摯な意味を持っているのです。
人形よ 誰がつくりしか
誰に愛されしか 知らねども
愛された事実こそ
汝が成仏の誠なれ
武者小路実篤
納められたお人形は、ある程度集まりますと可能な処へ運ばれ、お火上げとなります。
お人形と一緒に納められた紙のひとがたもお火上げとなります。
お火上げの日までは毎日お勤めがされます。
受付で書いて頂いた紙のヒトガタを燃やした灰の一部が、毎年10月14日に行われます“人形供養祭”にて人形塚の中に納められます。
“人形供養祭”には、この日に持ち込まれたお人形を並べ、年に一度の総供養の日として、お勤めが盛大に執り行われます。
毎朝のお勤めに参列はできませんが、この日は、皆様にも参列していただき、お焼香もしていただけます。
この日は島原太夫の奉納舞などがあります。
( 近畿 )
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