曹洞宗 華嶽山 梅林寺
梅林寺縁起
開山(初代住職)は、本寺、現在の茨城県石岡市宇治会源照寺の第二世、天室修悦大和尚で、天外栄呑和尚と言う人の開基によって創立しました。
栄呑和尚は出生も亡くなった日も不明ですが、開山修悦和尚の亡くなったのが文禄2年2月20日ですので、おおよそ天正(1573年〜1593年)或いは文禄年(1593年〜1596年)中に開創されたことになります。
これは今より四百数十年ほど前、後陽成天皇の御代で豊臣秀吉が伏見城を築いた頃にあたります。
初めは今の南千住小塚原の辺りに在って、龍源寺と称していました。
萬治年中、徳川将軍家綱の頃、伊勢亀山藩主石川主殿頭忠總の息子、甚十郎邦總と言われる人が幕府の中奥藩士、御膳番等を勤めておられたが、病の為公仕を辞し、箕輪の里の下屋敷に閑居されました。
邦總の臣に後述の天満宮由来にある里見家家臣の子孫、平井八兵衛長次と言う人があり、主君の病悩平癒武運長久祈願の為に、小塚原の裏地、天神山に祀ってあった綱敷天神尊像と共に、現地箕輪へ移転し、華嶽山梅林寺と改めて建立したと伝えられております。
栄呑和尚は出生も亡くなった日も不明ですが、開山修悦和尚の亡くなったのが文禄2年2月20日ですので、おおよそ天正(1573年〜1593年)或いは文禄年(1593年〜1596年)中に開創されたことになります。
これは今より四百数十年ほど前、後陽成天皇の御代で豊臣秀吉が伏見城を築いた頃にあたります。
初めは今の南千住小塚原の辺りに在って、龍源寺と称していました。
萬治年中、徳川将軍家綱の頃、伊勢亀山藩主石川主殿頭忠總の息子、甚十郎邦總と言われる人が幕府の中奥藩士、御膳番等を勤めておられたが、病の為公仕を辞し、箕輪の里の下屋敷に閑居されました。
邦總の臣に後述の天満宮由来にある里見家家臣の子孫、平井八兵衛長次と言う人があり、主君の病悩平癒武運長久祈願の為に、小塚原の裏地、天神山に祀ってあった綱敷天神尊像と共に、現地箕輪へ移転し、華嶽山梅林寺と改めて建立したと伝えられております。
本尊 釈迦三尊像
昭和46年、近世の名仏師、阿井瑞岑先生に制作を依頼し、闘病中ながら御本尊のお釈迦様と左右の普賢菩薩と文殊菩薩を作られて後、逝去され遺作となりました。
墓地
墓地の残りわずかですが、新しいお檀家を募集しております。
一区画百万円より(地下納骨施設工事済みですので、後は墓石代金のみです。墓石代金、42万円より)
過去の宗派は問いません。気軽にお問い合わせ下さい。
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過去の宗派は問いません。気軽にお問い合わせ下さい。
永代供養
大切な方をいつまでも。
・菩提寺が無い方
・身寄りのない方縁者がいなくなってしまう方
過去の宗派を問わずお迎えし、お戒名付き(お一人百万円より)永代で御供養致します。
気軽にお問い合わせ下さい。
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・身寄りのない方縁者がいなくなってしまう方
過去の宗派を問わずお迎えし、お戒名付き(お一人百万円より)永代で御供養致します。
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水子地蔵尊
生をこの世に持てず、名前もなく命日もなく遠く虚しく忘れてしまいがちな 水子の御供養を…。
毎年11月中頃の日曜日に、有縁無縁一切之水子精霊、御供養しております。
毎年11月中頃の日曜日に、有縁無縁一切之水子精霊、御供養しております。
( 関東 )
ホームページURL | http://www.bairinji.com |
電話番号 | 03-3872-2611 |
FAX番号 | 03-3872-2815 |
住所 | 東京都台東区三ノ輪1-27-3 |
アクセス | 電車の場合 地下鉄日比谷線・三ノ輪駅下車、徒歩1分 お車の場合 首都高速道路・入谷インターより5分 |